境内社・篠原神社
大笹原神社の境内には、篠原神社が鎮座しています。
篠原神社は古くからこの土地と深く結びつき、地域の人々によって信仰されてきました。
現在の篠原神社本殿は、応永三十四年(1427)の建立、又は再建されたとされる室町時代の建築で、国の重要文化財に指定されています。
大笹原神社の国宝本殿が応永二十一年(1414)の建立であることから、同じ境内に室町時代前期の二つの社殿が今日まで残されていることになります。
篠原神社は、古くから**「餅の宮」あるいは「餅の神様」**として親しまれてきました。
この呼び名の背景には、大篠原の土地と糯米、そして古くから名物として知られた**「篠原餅」**との深い関わりがあります。

「餅の宮」と篠原の糯米
大篠原の一帯は、かつて糯米の産地として知られていました。
古い文献には、大篠原について生地神(うぶすながみ)が鎮座することとともに、糯米の名物の地であったことを記したものがあります。
また、篠原神社と篠原餅についてまとめられた資料には、牛頭天王の神輿に関わる鳳凰の添え木となる糯が近江篠原から出され、この村が糯米の名物の地であったことも紹介されています。
大笹原神社はかつて牛頭天王を祀る信仰と深い関わりを持っていました。
その境内に鎮座する篠原神社が「餅の宮」と呼ばれ、さらに地域が糯米の産地として知られていたことからも、神社・祭礼・稲作・餅がこの土地で深く結びついていたことがうかがえます。
近江の名物「篠原餅」
「篠原餅」の名は、近年になって生まれたものではありません。
古い地誌や名所記などには、近江の篠原と餅についての記述が残されています。
『近江輿地志略』には、篠原餅について、篠原で産する餅であり、餅米の粘りが強く、他の産地のものとは大いに異なるという趣旨の記述が見られます。
また『木曽路名所図会』にも、大篠原には生地神(うぶすながみ)があり、あわせて糯米の名物の地であったことが記されています。
さらに別の文献には、
「大和の国のあふぎ餅、ねばい今の江州篠原餅」
と、篠原餅の粘りの強さを印象づける記述も見られます。
こうした記録から、篠原餅は単に大篠原の中だけで食べられていたものではなく、少なくとも近世には近江の名物として知られる存在であったことがうかがえます。
『今昔物語集』に登場する篠原と餅
篠原と餅との関係を考えるうえで興味深いものに、古典説話集『今昔物語集』があります。
『今昔物語集』巻二十八第四十四話には、近江国篠原を舞台とする説話が収められています。
物語では、美濃へ向かう男が篠原で雨に遭い、墓穴に入って夜を明かそうとします。
そこへ別の旅人がやって来ます。旅人は墓穴の中に神がいるのではないかと考え、供え物として小さな餅を三枚置きます。
ところが、墓穴の中に先に隠れていた男が、その餅を食べてしまいます。
餅がなくなったことに気づいた旅人は、墓穴にいる鬼が餅を食べたものと思い込み、驚いて荷物まで残して逃げてしまった――という、どこかユーモラスな説話です。
この説話そのものが、現在伝わる「篠原餅」や「餅の宮」の起源を説明するものではありません。
しかし、古い説話の中で**「近江国篠原」という土地と「餅」が同じ物語に登場している**ことは、篠原と餅との長い関わりを考えるうえで、大変興味深い記録です。
餅と地域の信仰
餅は古くから、日本人の暮らしや信仰と深く結びついてきました。
正月の鏡餅をはじめ、祭礼や祝い事、人生の節目などで餅が用いられ、神前への供物としても大切にされてきました。
米を作る土地があり、そこで育てられた米を餅にし、神々へ供え、人々もまたその餅をいただく。
大篠原でも、稲作と人々の暮らし、祭礼、そして神社への信仰は切り離すことのできないものでした。
篠原神社が「餅の宮」と呼ばれ、「篠原餅」という名が古い文献に残されていることは、こうした土地の歴史を今に伝えるものでもあります。

室町時代から今に残る「餅の宮」
篠原神社本殿が建立されたとされる応永三十四年(1427)から、約六百年の歳月が流れています。
その間、人々の生活も、農業の姿も、地域を取り巻く環境も大きく変化しました。
それでも篠原神社は現在も大笹原神社の境内に鎮座し、重要文化財である社殿とともに、**「餅の宮」**という呼び名を今に伝えています。
そして、かつて近江の名物として知られた「篠原餅」の文化も、この大篠原の地から完全に姿を消したわけではありません。
現代に受け継がれる篠原餅
現在、大篠原にある南農園では、大福をはじめ、鏡餅などの餅づくりが行われています。
南農園の商品ラインナップにも、現在**「篠原もち(大福もち)」**の名で商品が掲載されており、篠原の名を冠した餅が今も大篠原で作られています。
古い文献に登場する篠原餅と、現在作られている篠原もちが、まったく同じ製法や形のまま途切れることなく受け継がれてきたと断定することはできません。
しかし、かつて糯米の名物の地として知られ、「餅の宮」と呼ばれる篠原神社が鎮座する大篠原で、今も餅が作られ、「篠原もち」という名が使われていることは、この土地と餅との深い結びつきを感じさせます。
篠原神社、餅の宮、篠原餅。
それらは別々のものではなく、大篠原の土地で営まれてきた農業・祭り・食文化・信仰と結びつきながら、長い歴史を重ねてきました。
形は時代とともに変わっても、大篠原と餅とのつながりは、今もこの土地に受け継がれています。